土曜日, 1月 30, 2010

ドン・ウィンズロウ著「犬の力」下巻を読んで。

いよいよ、物語は佳境に入る。様々な抗争を経て、遂に麻薬カルテルの親玉アダン・バレーラと特別捜査官アート・ケラーの戦いは最終章へと。娼婦ノーラの密告により、アダン・バレーラの企みを悉く粉砕するアート、密輸、権力との癒着、暴力抗争、陰謀、暗躍あらゆる人間世界の悪の象徴そのものを「犬の力」と言うのだそうだ。この犬の力に真っ向から生命を賭して立ち向かうアート・ケラーの根源的力が、即ち神の力ではないか。この種の血で血を洗う物語にしては、読後の清涼感は何なのであろうか。著者の力量を感じさせる正に五つ星の娯楽小説である。

ドン・ウィンズロウ著「犬の力」上巻を読んで。

アメリカとメキシコ国境を境に、サンディエゴからメキシコのティファナそして南米の小国が登場する。舞台に主な地はメキシコのグアダラハラそしてティファナとサンディエゴだ。実は数年前にロサンゼルスへ行った際に、国境を越えティファナへ行った。通関してバスに乗ったが、そのバスの車体及びガラス窓には無数の弾痕があった。そしてティファナの街は、「いかがわしい」の一言であった。舞台はメキシコ、アメリカ側DEAの特別捜査官アート・ケラーを中心に物語は始まる。麻薬コカインとメキシコマフィアそして汚職、殺人、暴力そして復讐と悪の全てを描き出す著者、そして神の存在のと対比しながら。昨年後半に読んだ「ミレニアム」に匹敵する面白さだ。この小説の中身そのものが、真実と思えるほどの迫力だ。暴力、殺戮の中にマフィアそしてケラーの家庭を妻を描く、物語に登場する様々な人物のデイテイルと心理描写まで、正に秀逸の作品だと思う。著者の無限の可能性を実感する。

水曜日, 1月 20, 2010

マイ・シュヴァール、ペール・シュヴァール共著「笑う警官」を読んで。

スウェーデンのミステリーもミレニアム以来その地名にも慣れた。マルティン・ベックシリーズの第4作目となる本書は警察小説のスタンダードというべき出来映えである。ベックを取り巻く同僚の個性が衝突しながら各々の私生活を交え、犯人を追い詰めてゆくディテイルは見事である。物語は、ある夜市内循環バスの乗客9人が射殺され60発以上にもおよぶ弾痕は、死体の確認が困難なほど無残な猟奇的殺人事件の発生から始まる。「ロゼアンナ」に登場する若き尾行の上手な警官ステンストルムも死体となって発見される。16年前迷宮入りとなっているスペイン人女性の他殺体の殺人事件を追っていたということが判明しベックは、何故彼がバスの中で殺されたかを調査し、遂に必死の捜査の上犯人を追い詰める。といった警察小説である。

月曜日, 1月 18, 2010

佐藤正午著「身の上話」を読んで。

平坦な語り口調のこの物語は、NHKの週刊ブックレビューにて知った。主人公の古川ミチルは、友人からの依頼もあって宝くじを買う。その日不倫相手の東京の出版社の豊増を追って東京へと。宝くじの43枚の中の1枚が一等に2億円当たっていることに気づく。その日からミチルの人生は予想もしない様々な状況に巡り会う。そして殺人が起きる。宝くじの1等が当たったばかりに起こる悲劇、偶然とはそのようなものであろうか。そして物語を語る本人の境遇もまた最後になって判明する。ちいさな「どんでん返し」ともとれる結末である。人生とは誠に持って偶然の重なり合いそして巡り会いもまた偶然としか言いようがない。

日曜日, 1月 17, 2010

五木寛之著「親鸞」下巻を読んで。

吉水へ行けと運命の声を聞いた範宴は、法然上人の草庵へ念仏を聞きに日参する事になる。只ひたすら法然上人の語る言葉を聞くために、思えば比叡山での命がけの修行の中でも真理は見いだせなかった。そんな折り、余命幾ばくかと越後へ帰った紫野と巡り会う、今は出家して名を恵信という。専修念仏の思想、念仏を唱えれば、悪行を積んだ者でも極楽浄土を行けるという思想を説く法然上人と遂に巡り会うことができた。範宴の中に自分を見る法然上人は自らがしたためた選択本願念仏集を範宴に託す。やがて遵西ら弟子たちが専修念仏思想を曲解して、淫らな法会が巷での評判となり、遂に朝廷から念仏停止の立て札が至所に掲げられ、弟子数人は鴨の河原で斬首となった。範宴改め綽空も命を取り留めたものの越後へ流されることとなった。越後での択本願念仏集を広めることを人生の契機として名を善信から親鸞へと。殺伐として時代背景の下で僧として自らの生ける道を模索する親鸞の限りない真理探究と自己否定とそして研鑽を積むことによる実存主義哲学でいうところの「投企」を親鸞に見る思いである。

木曜日, 1月 14, 2010

五木寛之著「親鸞」上巻を読んで。

忠範といわれた親鸞幼少名を中心に書かれた上巻は、親戚の日野家に兄弟3人が預けられた生活が描写されている。12世紀末その頃の京の町は、貧困に喘ぐ者や、病人、武者が屯し、鴨の河原では死体が次々と投げ込まれ異臭漂うそんな状況下で、忠範はある日、辻で猛牛のアタックを受けるという危険な目に遭い危うく命を落とすところを3人に助けられた。家系の苦しい日野家は忠範に出家を言い渡す。ひょんな縁から天台宗総本家比叡山に上る幸運を掴んだ忠範は12歳の時であった。範宴(はんねん)とし、それから20年に渡り比叡の山での厳しい修行の中で次第に「仏とはなにか?」から始まり次々と湧き出てくる疑問に修行をすれども答えを見いだせない苦悶の日々が続く。比叡山では僧も階級性が敷かれ、抑も僧とは何かまで生きる根源的な問いを自らに問う日々を送る。そして世に言う「六角夢告」聖徳太子を祀る六角堂への百日参籠の95日目に太子の示現により夢告を受ける。そして法然上人のいる吉水に行けというお告げを受けた。

土曜日, 1月 09, 2010

シュバール著「ロゼアンナ」を読んで。

2010年第1冊目は、昨年「ミレニアム」に刺激されスウェーデンの作家をこの機会にということで読んでみた。後にマルティン・ベックシリーズとして5,6冊を数えている、所謂警察小説というか題名のロゼアンナは殺された被害者の女性の名前である。他殺体が海中より発見され捜査が開始されたが、中々犯人を特定きずに日時が経過するなかアメリカのカフカ刑事からの被害者の情報が飛び込んできた。捜査にあたる数人の刑事たちと犯人との心理作戦は面白い。遂に囮捜査に踏み切るマルティン・ベック警部、犯人は精神異常者であった。。。