水曜日, 9月 23, 2009

綾辻行人著「人形感の殺人」を読んで。

これまで、数冊著者の「館」シリーズを読んだが、何故か最後章の結末については、些か拍子抜けとしか言いようが無い。館に至る状況説明は、細部に渡りいよいよ殺人事件が発生する。飛竜想一なる主人公の回りに発生する幾多の不可解な事象が、主人公の28年前の過去との連鎖から、或は例の中村青二なる建築家による館の絡繰りを連想させ読者はこの人形館を舞台にどんな謎解きが在るかと期待するが、突然主人公の精神異常で片付けられてしまう。なんとも後味が悪いとしかいいようが無い。

金曜日, 9月 18, 2009

太宰治著「人間失格」を読んで。

この書の中にあるのは、極細の神経を持った少年時代の姿それは一部自分自身を投影してるかのように、惨めで悲しい極限までの自己否定だ。酒に溺れ、女に酒池肉林の中に安住しようとするどこまでも世の中の片隅から隙間見る少年の時代そのまま成長する葉蔵の姿だった。「人間失格」発刊の直前に命を絶った太宰の生きた三十数年間は、戦前戦中そして戦後の混乱の中に在った。雪の降る夜酒に酔って喀血する葉蔵は、雪の中に日の丸を描いたと思う。この鮮烈なシーンが読んだ後でも脳裏から離れない。人間の生とは、斯くも悲しく寂しい事なのかと。

土曜日, 9月 12, 2009

F・W・クロフツ著「樽」を読んで

前著に続き推理小説の古典的名著と言われるクロフツの「樽」1920年代の作品である。江戸川乱歩をして「リアリズムの推理小説の最高峰」と言わしめたこの作品は、明智小五郎やホームズといった名探偵が推理し事件を解決してゆくといった物ではない。普通の刑事が読者とともに足で捜査してゆくといった面白さは読者への挑戦とも取れる当時としては画期的な構成であったことが、容易に理解できる。古典としての地位を不動のものにする確固たるものがある。前著「月長石」と違って、本格的ミステリだ。

水曜日, 9月 09, 2009

ウイルキー・コリンズ著「月長石」を読んで

エラリー・クイーンに、推理小説の古典的名著と言わしめたコリンズの「月長石」(ムーンストーン)は文庫本で800ページにも及ぶ大作である。
この物語は1800年代中期、ロンドンから当時馬車で2時間余場所はヨークシャこの地で裕福なヴェリンダー家の晩餐会に招かれた招待客が物語の主人公である。晩餐会が終わり各招待客が床に就いた深夜、ムーンストーンが盗難に遭う。物語はヴェリンダー家の住人から始まり招待客各自のその後、ヴェリンダー家のレイチェル嬢の恋愛を織り交ぜ様々な伏線を用意した、現代でも通ずる内容となっている。推理小説というよりは、純文学の域でも立派に通用すると思う。