火曜日, 12月 26, 2006

光の旅路上下巻 を読んで。

アイリス・ジョハンセンという女流作家の本を初めて読んだ。18世紀インドを舞台にロマンスと冒険活劇とでも形容できそうな壮大な物語である。上巻の100ページ先より徐々に作者の意図に引き込まれてゆく読んでいて心地よい。下巻は一気に読ませる迫力がある。スコットランドより来た夫婦イアンとマーガレットそして、身体不自由な身になるイアン、金細工師のカールタウクの3人が織りなす大人の恋、そして恋人同士の主人公ジェーン・バーナビーとリュエル・マクラレンの恋、若い二人のロマンスと中年のロマンスを同時に見事に描いている。


土曜日, 12月 16, 2006

定年後はイギリスでリンクスゴルフを愉しもう を読んで。

イギリスでのゴルフ中でもリンクスを主体としたゴルフ場及び個人ツアーの紹介は、過去スコットランドの「セントアンドリューズ オールドコース」を訪れた私にとって、非常に興味があった。しかしこの本を読み終わって、スコットランドやアイルランドでのリンクスゴルフのようにストウィックなゴルフ、人生を彷彿とさせるゴルフもあれば本当に南国東南アジアでの暖かいいや暑いところでのリゾートゴルフもまたゴルフではないか。と最近思うようになった。朝涼しいうちに、ラウンドしシャワーを浴びてビールを飲みながらゆっくりと昼食をとり、そのごマッサージにかかった後、昼寝をして読書、さて今日の夕食はどうしようかと考える。これもゴルフだ、人生を豊かにしてくれるゴルフではないか。

金曜日, 12月 15, 2006

石の猿 を読んで。

J・リーヴァーのリンカーン・ライムシリーズの「石の猿」中国マフィア蛇頭とライムとサックスの戦いだ。福州からの不法移民を乗せた船がニューヨークを目指す。ゴーストと呼ばれる蛇頭と元ニューヨーク市警察鑑識部長であるライムの息詰る戦いが読み物のこのシリーズであるが、「12番目のカード」「コフィンダンサー」「ボーンコレクター」と比較すると今一かなと思う。

月曜日, 12月 11, 2006

江戸川乱歩全集 第9巻 黒蜥蜴 を読んで。

黒蜥蜴、人間豹、石榴が収められた乱歩全集第9巻である。この三作品の中では、「石榴」(ざくろ)が一番面白いと思う。「黒蜥蜴」は後に三島由紀夫の脚本による舞台化などが行われ衆知となったが、私は石榴が、現代に通ずる傑作だと思う。昭和9年の作だという。思想統制が進む社会で思い切った表現もままならぬ時代下でのサド的表現を描いているのも面白い。最後の大逆転劇は痛快である。

コーヒー一杯のジャズ を読んで。

1960年頃のジャズのレコードを良く聴き、スウィングジャーナルも読んだ。植草甚一なる人は、雑誌での紹介記事で知った。おしゃれなコーヒーが好きな「ジャズ」評論家というイメージがあった。Mデイビスの「死刑台のエレベーター」から1970年の「Bitches Brew」に至る10年間は、ジャズの激動の時代であった。ついて行けなくなったジャズファンも多い。J・コルトレーンはまだしもアーチー・シェップやアルバート・テイラーにはついて行けないという。私がジャズファンになったのは、1970年の2年ほど前からである。前衛ジャズを聴き、ウィントン・ケリーを聴くとほっとする気持ちが今でも忘れられない。
米国社会も戦争や恐慌から立ち直り冷戦時代へと突入する時代背景である。またビートルズが世界を席巻した時代でもあった。ビートとインプロビゼーションをトコトン突き詰め精神的内部を表現しようとした時代だが、それは音楽ではなかった。少なくとも「楽しく」は無かった。70年のジャズをこの頃勉強したいと思っている。

土曜日, 12月 09, 2006

獣たちの庭園 を読んで。

J・リーヴァーの歴史長編小説である。しかも、今から丁度70年前の1936年ベルリンの夏第11回オリンピックが開催されたその年。一人の米国人がある使命を帯びてベルリンに入る。3年前にアドルフ・ヒトラー政権が誕生し思想統制やユダヤ人とアーリア人を強制収容所を送りが激しくなって来たベルリンの街を舞台に、殺し屋がヒトラーの幹部の一人を射殺するという設定だ。殺し屋ポール・シューマンが、自ら死に至る可能性のある極限状況下で収容所で今ガスにて殺戮されようとする青年を助け出す。J・リーヴァーの「良心」をみる。

火曜日, 12月 05, 2006

インヴィジブル・モンスターズ を読んで。

チャック・パラニュークを初めて読んだ。訳者の池田真理子のシリーズを追っての海外小説。カバーノーツに記載された過激小説という言葉が何故か空虚に感ずる。読後、この小説は何なんだ。何も残らないものが、残った。というべきか。この社会に生ける人間はがこの社会の枠を超えて生きようとしても、この枠を破壊し生きようとしても、あるいは逃避し生きようとしても、訓練された生き方しかできないのである。最早人生は言葉を超えた、椀の水の中でもがく蚊のように生きるしかないのだろうか。

月曜日, 12月 04, 2006

ボーンコレクレクター を読んで。

リンカーン・ライムシリーズの第1作目か。アメリア・サックス巡査が警邏課からリンカーンの要請で鑑識に回る。いつもながら、息もつかせぬ展開にはただただ睡眠を奪う。現場で収集した微細証拠物件がライムの博学な鑑識技術知識により犯人を追い詰めてゆく。海外探偵推理小説につきものの冗長性が、J・リーヴァーの中では心地良い。リンカーン・ライムシリーズは実は恋愛小説かも知れないと思う。凶悪犯に極限状況の中で対峙してゆく課程で除々に育まれてゆく愛。

日曜日, 12月 03, 2006

縦並び社会 を読んで。

予想以上に、格差が広がっている現実に危惧を覚えるのは私だけではないかもしれない。米国なみの競争原理の導入、時代の寵児と持てはやされたホリエモンと村上と対局に国保さえ資格を失う老人とその家族、相変わらず官庁の無駄金使い等々、一体この国はどこへ行こうとしているのか。防衛庁の昇格、核の論議、日本を支えてきた官僚は最早地に落ちた。海外への移住はこの先東南アジアの国々で日本人のホームレスが出現する日もそんなに遠い世界ではない。2007年問題が近づきつつある。大量の富める日本の貧民を創出する。まさに日本の警告の書である。

金曜日, 12月 01, 2006

江戸川乱歩全集 第4巻 孤島の鬼 を読んで。

この巻には、「孤島の鬼」と「猟奇の果」が収録されている。ときに奇形児を扱った孤島の鬼は息もつかせぬ展開の迫力があり、非常に面白い。併読しているJ・リーヴァーの「ボーン・コレクター」にも引けを取らぬ面白さがある。「猟奇の果」は乱歩が、雑誌に連載するスタイルで何とか明智小五郎を登場させて、繕うような格好と体裁が読み取れてしまうが、それなりに面白い。数巻読んだ中では、この全集第4巻がベストであり、推薦したい。

日曜日, 11月 26, 2006

コフィンダンサー を読んで。

ジェフリー・ディーヴァーの第二作目だという。この面白さは圧巻だ。圧倒的な迫力リンカーン・ライムの頭脳が殺し屋「コフィンダンサー」を追い詰める。最後はどんでん返しに次ぐ、どんでん返しライムと相棒サックスの愛が作者の優しい目を感じさせる。素晴らしい作品の一言に尽きる。今までの探偵推理小説とは較べモノにならない感動ものだ。

土曜日, 11月 25, 2006

江戸川乱歩全集 第1巻 を読んで。

大正14年に発表当時の乱歩の初期短編集が収められている。初々しい初期短編集の中にも既に明智小五郎なる青年探偵が登場してくる。乱歩の探偵小説の中に著者の人生観が、あまり見えないしまた、社会も見えない。純粋な娯楽探偵小説であると思う。それが却って心地よい読んでいる間の面白さと言うべきか。痛快さを味わう。これ以上でも以下でもない。J・ディーヴァーと比較し息の詰まるような緊張感はもちろんない。乱歩の作は?に空想の中の探偵娯楽小説だ。

木曜日, 11月 23, 2006

ゴルフはシャフトだ。 その3

10日ほど前、○○○5のフィッティングルームを訪れた。ドライバーを診断してもらうと、シャフトがヘッドをインパクトの瞬間追い越していて、ヘッドが開いているフィッティング担当は言う。シャフトが合ってないと。彼が推奨してくれたのが「Fujikura」のZCOMである。それも白いSIXという元調子だ。計測により私のヘッドスピードは41で、このシャフトによりキャリーで220Yで方向性も格段に良くなり、かなり改善するということで早速注文。ヘッドはナイキのサスクワッチ460でサスクワッチディアマナをリシャフトすることに。実際にコースでの試打では方向性はまずまずだが。飛距離がもう一つ延びない。たまたま3日前ヤフオクで「ミズノJPXE310+ZCOM SIX」が出品されていた。迷った。フィッティング担当の推奨は硬さ「R」で出品されているのは「S」であった。しかし落札し本日のコンペにてデビュー。結果はランを含め250Yしっかり出ていた。中弾道で軽くドローする球筋は自分が求めていたものだ。しかし肘を痛めていて腕が高くあがらない中での結果には大満足であった。明日は、今年ベルーナ女子オープンが開催されさくらちゃんが勝った「小畑郷ゴルフクラブ」だ。楽しみだ。

今に生きる親鸞 を読んで.

吉本隆明の「親鸞」の略歴と思想を平易に解説した。親鸞入門の絶好の書だと思う。が、親鸞の思想は、インド、中国を経て日本で完成した仏教思想の究極だと言う。明日をも知れぬ戦乱の時代、或は飢饉で飢えて死んでゆく民衆はたまた疫病と混乱の時代に生きた親鸞を始め各宗派の創始者がでる。曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮と既存仏教を批判し民衆の苦しみの中に入っていこうとした。しかし親鸞の思想は個人の自己欺瞞を否定した究極の善悪、倫理、死について師の言行を纏めた唯円の「嘆異抄」の中で語られているというが、かなり難しいと思った。これは「仏教思想」というより人間の哲学である。という印象だ。

日曜日, 11月 19, 2006

鼻/外套/査察官 を読んで。

ロシアの作家ゴーゴリの作品を初めて読む。「鼻・外套・査察官」の三部が収められている。なお査察官は一般的には「検察官」なる見出しという。人生とは、誤解の連続で成り立ち、常に孤独と悲劇が内在している。そして人間は夢・妄想の中に生きる。とゴーゴリは言っているようだ。中でも面白いのは「査察官」だ。市長とその取り巻きそして家族妻と娘に対して査察官と間違われるフレスタコフ(ロシア語で大洞ふき)のやりとり、この中には人間の醜悪な部分が全てあるように思う。ゴーゴリの人生感そのものかもしれない。

昭和史 を読んで。

ジャーナリストとしての著者が語る「昭和史」昭和20年天皇の太平洋戦争終結宣言から、GHQの管理下での日本は右往左往し、新憲法作成までの細かなエピソードは今更ながら驚かされる。詔勅から3日後、GHQの為の慰安場所を造ったという話も日本人ならではのものである。昭和27年ポツダム宣言により独立国家として歩み出した日本は、朝鮮特需を踏み台に池田内閣の元で所得倍増を旗頭に驚異的復興を遂げてゆく、戦後の60年の歴史のなかで、図らずも再軍備をせず新憲法を守り抜いた日本人にも良識があったのかはたまた偶然であったのか。私はその二つだと思う。GHQの若手6,7人で原案を作成した新憲法は、天皇の処遇を巡り紆余曲折はあったものの、現在の形になったという。今また「憲法問題」が叫ばれている。また「核」を含めた軍備といつまでたっても懲りない「日本人」という印象である。

月曜日, 11月 13, 2006

クリスマス・キャロル を読んで。

ディケンズの「クリスマス・キャロル」に登場する主人公スクルージは、真面目な守銭奴であるが、ある晩精霊に出会う。自分の子供の頃つまり、過去、現在、未来を見ることになる。19世紀初頭、イギリスの産業革命の中で貧困に喘ぐ工場労働者の実態からヒントを得た作品であろうか。一つの「聖書」ではないかと思う。人間の本当の優しさや幸福はたまた家族の幸福を思わせる。

日曜日, 11月 12, 2006

12番目のカード を読んで。

海外ミステリーである。ジェフリーディーバーの最近のミステリー「12番目のカード」は、最後までワクワクさせる展開の面白さを備え徹夜を強いる作品である。16歳の黒人の女子高校生ジェニーバ・セトルが、図書館兼博物館から資料を探しているところを襲われるところから物語りは始まるが、140年前の先祖の秘密とからめ意外な展開を見せる。元FBI科学捜査警部ライムとその恋人サックスが、犯人を追い詰める。一転二転三転と様々な展開は読者の予想を超える面白さがある、シドニー・シェルダン、ダンブラウンの遙か上を行く展開の面白さを絶賛したい。

海に住む少女 を読んで。

光文社新訳古典文庫の中の1冊である。作者の不遇の生涯が、作品に出ているというか、全編が詩的であり底流に漂う何とも言えぬ孤独・寂寥感に包まれている。動物の擬人化、殺人まで全てがなんでもない日常の中に並列的に横たわる。読み終わって、詩的部分だけが強調されそこはかとないただただ寂寥だけが残る作品であった。

月曜日, 11月 06, 2006

お江戸の意外な「モノ」の値段 を読んで。

江戸時代の9尺2間の裏長屋に住む庶民の身の回りの生活及び雑貨、或いは武家・旗本はたまた参勤交代時の経費等々、実に様々な「モノ」の値段及び費用について解説した面白い本である。1両を現代に換算して8万円から10万円として見ると、ほぼ現代の「モノ」「経費」と合致したものもあるのが不思議であった。今でも東南アジアに見られる屋台が、江戸時代には寿司、そばなどあったがこれが現代にないのは寂しい限りである。

帝国主義論 を読んで。

レーニンの「帝国主義論」を読んで、資本主義が高度に発展した段階、つまり「独占」「金融資本の寡占」「資本の輸出」「領土の分割」これらを「帝国主義」と呼ぶという。これは正に現代の社会と相違することなく19世紀後半から20世紀を等して約1世紀帝国主義は生き延びてきた。そして今や世界の貧富の差は予想以上に広がり我が日本国内においても、「格差社会」と呼ばれる状況が出現しつつある。この体制が続く限り世界の貧困は無くならないのであろうか。帝国主義論のレーニンの言う状況があまりにも現代の状況と合致しているのには、只驚くばかりである。

水曜日, 11月 01, 2006

マルクスだったらこう考える を読んで。

カール・マルクス60年代後半は、正にビートルズとマルクスであった。大学紛争の中で全共闘のメンバーが語るときのバイブル的だった「資本論」はマルクスの代表的著作である。現代をマルクスがもし日本の東京に生きていたらどう考えるだろうか。という疑問から出発しているが最後まで要を得ない解説であり、ガッカリさせらた。高度情報化社会が世界的に蔓延し、貧困が全て無くなったフラットな世界でこそ共産主義社会の出現となる。というようなことは正に夢であり、極楽浄土の世界だ。

Web2.0が面白いほどわかる本 を読んで。

ティム・オライリーが名付け親だという「Web2.0」という言葉の意味をより、具体的に解りやすく解説した良い本である。バーチャルとリアルという言葉から、今やWebとリアルに変化した。グーグルを筆頭とする米国IT産業は世界を席巻しつつある。殊にグーグルは世界規模での人間の様々な行動おもデータベース化しつつある。数十万といわれるサーバー群が世界中に分散し日々Webの世界を巡回し情報をデータベース化しており、今後の米国の覇権が揺るぎないものとなる予感がある。現実の日常からもWebの変化が読み取れる。検索と受信から、検索、受信、発信、共有という概念がWeb2.0の世界そのものだという。現に個人がBlogとして発信している。そして我が分野でも、SI(システムインテグレーション)は、パッケージからつまり「サービス」へと移行するという。来るWeb3.0の世界は、「ユビキタス」の時代となるであろう。人間とWebが、ともに「リアル」なものとなるであろう。

火曜日, 10月 24, 2006

江戸川乱歩全集第15巻 三角館の恐怖 を読んで。

相変わらず、乱歩らしいタッチで物語は進む。「青銅の魔人」と「三角館の恐怖」が収められている。青銅の魔人は少年雑誌の連載として書いた物語である。少年探偵団の小林少年の活躍である。昔の少年時代を思い出さずにはいられない。懐かしいの一言である。三角館の恐怖は、洋物を乱歩流に書き直したものだという。最終章まで犯人が判らないという推理小説の定番的物語である。

金曜日, 10月 20, 2006

ホーキング、宇宙を語る を読んで。

宇宙は、どこから始まり何処へいくのであろうか。この壮大な理論物理学の世界へ望む科学者の理論を紹介しながら、あるいは想像主としての神との対峙を含め解説したこの本は宇宙の壮大無限性と人間の極小性を認識させる。改めてアインシュタインの「相対性理論」が持つ意味が如何に深く理論物理学に係わっているかも認識させられる。統一理論が、著者の言う今世紀20世紀には擁立できなかった。ビッグバンに宇宙の創造を提唱した著者は、今後どのような展開もって統一理論へと結びつけて行こうとしているのか。

木曜日, 10月 19, 2006

江戸川乱歩全集第10巻 大暗室 を読んで。

この巻の中に2編が盛られている。「怪人20面相」と「大暗室」だ。どちらも、中学生の時に読んだ興奮を今にしても覚えるということは、やっぱり面白いからだ。懐かしさと興奮が沸々と湧いてくる。主人公と犯人との知恵と知恵の対決、最後には主人公の正義が勝つという少年雑誌の連載に向けての物語だが、実に良くできていると思う。

月曜日, 10月 16, 2006

江戸のおしゃべり を読んで。

江戸庶民の様々な生活を古川柳を通して見ると良く解る。九尺二間長屋の住人から、町屋、吉原、武家それぞれ庶民の生活が古川柳の中に生きている。江戸庶民の文化の研究は原始文献が少ないという。古川柳に二見る江戸庶民の生活は、現代の我々の生活の中に多くを見ることができる。世に言う、渡鬼、嫁姑の争いも古川柳で言うと「憎い嫁かわゆい孫をやたら産み」となる。

日曜日, 10月 15, 2006

公爵家の相続人 を読んで。

第一次世界大戦終了後つまり、1920年代の英国のカントリーハウス、フューエンフォート家の「ジャスティスホール」大邸宅を舞台にした、ローーリー・キング「シャーロックホームズ愛弟子」シリーズ第6巻である。このシリーズをたまたま本屋に立ち寄り発見した。「ホームズ」のファンとしては、期待を持って読み進めたが、海外作家特有の冗長な背景描写には辟易する。570ページある書の250ページは不要と思われるほどだ。古典的なトリックだが、後半はファンにとってはたまらない展開となりつい、朝方まで読んでしまった。戦争の中で、幾多の命が翻弄され第7代公爵の相続人を巡る血なまぐさい古典的殺人計画をホームズ及びメアリ・ラッセルが謎解きをしていく。メアリーはホームズの妻となって活躍する物語である。

アフターダーク を読んで。

村上春樹の本を初めて読んだ。最新刊らしい。午後11時55分から翌朝午前6時50分まで、時系列に物語が美人を姉に持つマリの行動と高橋というトロンボーンを練習する大学生そして、モーテルに勤めるかおりとサラリーマン白川のそれぞれの行動がこの時間帯の中で動いていく。全ての人間がほぼ病的いや病気である。普通の生活とみられる大都市の闇の中で蠢く人間の行き着く先は結局兄弟愛というか家族というか。観念で捉えられない血の繋がり、肌の感触の中にしか無いのであろうか。

金曜日, 10月 13, 2006

江戸川乱歩全集第7巻 黄金仮面 を読んで。

実に、面白い「黄金仮面」は、仏蘭西のアルセーヌルパンと明智小五郎との対決。また「白髪鬼」は、イギリスの女流作家マリイ・コレルリ「ヴェンディッタ」を乱歩流に書き直したものであるという。この「白髪鬼」の中に人間の復讐心というものが、どこまでも果てしなく深く広がり鬼畜ごときに成り下がるということだろうか。信頼せる人間に裏切られた時の復讐心を持って人間の本質に迫る乱歩にある人間観とは。。しかし面白いとくに、怪奇ものに乱歩の真骨頂があるようだ。

水曜日, 10月 11, 2006

臆病者のための株入門 を読んで。

何冊か株式投資入門の本を読んだが、初めて「マトモ」だと思われる本である。投資には、リスク及びリターンがあるという。また銀行、証券会社、生命保険会社などが、商品化するパッケージものに、如何に「嘘」が多いか。どうしたら、善良なる投資家を騙し自らの会社の損失を防げるか?を念頭にパッケージ化する商品の裏側を見極める必要があるという。投資に王道なし、過去米国の偉大な投資家を例に語る投資法の数々を分析し、「トーシロ投資法」を指南する。世界市場ポートフォリオへの投資、インデックス投資という方法を推奨する。これらを研究してみようと思う。

火曜日, 10月 10, 2006

博士の愛した数式 を読んで。

主人公とその息子は、2人暮らしで主人公は家政婦である。家政婦紹介組合より数学博士の家へ派遣される。博士は1975年に交通事故に遭い、それ以来75年で記憶が停止したままである。かつ記憶が80分しか持続しないという。主人公と博士そして息子の3人が織りなす、日々の生活の中に著者の何とも言えぬ「やさしさ」「愛情」を行間から読み取れる。設定も奇抜だが、一気に読める面白さだ。また、余談だが数学についても、素数とか有理数とか勉強になる。

日曜日, 10月 08, 2006

極楽タイ暮らし を読んで。

タイ人の性格や日常の慣習そして生活について語ったこの本は、少し古いがどうだろう。仏教を背景とするが、タイ人は現実的であるという。輪廻という思想が、タイ仏教の根本にあるため死者への参拝等は一切しないという。暑いので歩くのが大嫌いだと、自転車よりバイク、そして自動車タイは全て自動車は輸入である。物品税が高いため、本田のシビックでも300万もすると聞いたことがある。月給数万円の生活で、車を購入することは大変なことだ。でもタイ人は車が大好きだ。エアコンのついた自動車に乗ることが、庶民の夢なのかもしれない。

土曜日, 10月 07, 2006

江戸川乱歩全集第2巻 パノラマ島綺譚 を読んで。

「湖畔亭事件』「一寸法師」と比較的初期の作品が収められている「江戸川乱歩全集』の第2巻である。昭和初期の作品であるにも関わらず、圧倒する臨場感は今読んでも迫力があり面白い。当時は探偵小説といったそうだ。湖畔亭事件は横溝正史の小説を彷彿とさせる。一寸法師で、懐かしい明智小五郎に出会う。中学生の頃読んだことを覚えている。懐かしいの一言だ。全集は一巻凡そ600頁もある。

月曜日, 10月 02, 2006

仏教のこころ を読んで。

仏教と現代との関わり、はたまた現代の殺伐とした多くの事件が発生する状況下での仏教の役割といったものがあるとすれば、何なのか?について著者の率直な心情を著わした書である。私が興味を持つのは、日本あるいは日本人の自然との係わりである。中国から伝来して以来、日本人の自然観の中に昇華した仏教は、私たちの生活の隅々まで浸透している。また「神仏混淆」など当たり前、田舎のどの家にも仏壇と神棚はある状況である。このいい加減さこそ「日本人」であると思う。がしかし世界の人々に理解してもらうのは、正直難しい。小動物から草木にまで命があるという、日本人にとってごく当たり前の考えが、グローバルスタンダードになり得ない「もどかしさ」を常々感じる。

金曜日, 9月 29, 2006

お江戸でござる を読んで。

杉浦日向子さんが、NHKの「コメディーお江戸でござる」の解説者としてドラマの終盤に登場し考証を含め軽快な口調で解説する江戸の庶民の生活は実に面白く見ていた。午後2時頃から3時頃、蕎麦屋でちびりちびりやるのが好きだと言う著者は、既にこの世にいない。多分江戸にタイムスリップして、裏長屋に住まい相変わらずちびりちびりやっているのであろうか。庶民の生活の時代考証は、様々な資料で知識を深めないとなかなか発見できないのではなかろうか。と思う。日本の本来のまた、日本人の庶民の生活ルーツというか規範が、この時代にあると、熟思う。

水曜日, 9月 27, 2006

新・バンコク探検 を読んで。

バンコクというか、タイ人の「いい加減さ」が紹介されている。過去2回ほど、バンコクに立ち寄ったが、この本を読んで、バンコクの道路が、タノンという大通りとソイという枝の小通りに分かれソイとソイは連絡が無いというのも発見であった。道路事情から、バス、タイ料理、酒、そして夜のバンコクなど現地で生活していなくては、わからない情報が見つかる本である。

日曜日, 9月 24, 2006

階層別・江戸の暮らしがわかる本 を読んで。

町人から武士まで、階層別に江戸の暮らしを解説した本である。今まで読んだ「江戸」関係の範囲である。特段面白くはない。九尺二間の裏長屋住まいの江戸の一般庶民の暮らしぶりが、良くわかる。現代に照らしてみるに、様々な事柄が既に江戸で始まり行われていたことがわかる。世界屈指のクリーンなリサイクルを実践し、庶民の識字率は類を見ないほど高い日本が世界に誇るべき人工の都市であった。果たして、徳川家康はこの都市の発展を夢に見ていたのだろうか。

火曜日, 9月 19, 2006

江戸検定手習帖「江戸」のいろは 入門編 を読んで

江戸検定の入門編試験問題集である。11月に試験があると言う。問題はかなり、マイナーであり勉強しないと当然合格は望めない。江戸全般に渡る問題が出題されるようだ。

日曜日, 9月 17, 2006

夢のゴルフコースへ米西海岸編 を読んで。

伊集院静氏は、30年余のキャリアを持つゴルファーだと知った。この書を読んで一番の印象は、「羨ましい限り」の一言である。ゴルフコースとは、何であろう。自然条件と名設計家による芸術作品であると同時に、ゴルフを愛する人間の弛まないメンテナンスを必要とする、この意味でゴルフコースは生きているという。コースからの、「囁き」が聞こえてくるようになれば、一人前かも知れない。以前ロスアンジェルスにいったが、ロス周辺のコースしか行かなかった。この書で紹介している一番の印象に残ったのは、メキシコのロスカボスであった。サンディエゴのラコスタリゾートでゴルフを堪能し、ロスかボスへ向かうリゾートゴルフを満喫する旅を是非して見たいと思う。

金曜日, 9月 15, 2006

インドを知らんで明日の日本を語ったらあかんよ を読んで

1944年英国から独立以来、現代のインドは歴史的に壮大な実験をしているという。その理由は、過去の歴史上類を見ない実験とは、まずITがあって、その後にインフラ及び製造業を発展させて貧困を撲滅しようとする実験であるという。米国のアウトソーシング化しているインドは、数年後には米国の企業の下支え運命共同体としての国として位置づけされるであろう。民主主義と英語とITがインドを支える。それにしても、人口10億を超え中国と違い産児制限もなく未だに人口が増え続けているインドの未来はどんなことになるのであろうか。

日曜日, 9月 10, 2006

なぜウォルマートは日本で成功しなかったか? を読んで。

米国流通業界と日本の流通業界を対比させ、如何に日本の流通業の思想の「無さ」を確認させる。また西友と提携し、未だ成功しない「ウォルマート」の米国での戦略が日本のマーケットで成功しないか?やはり流通業での世界戦略の難しさを挙げる。日本のコンシューマ及びカスタマーは、やはり米国とは違う。サプライヤとの契約も異なる。さらに日本の階層とも違う。米国での流通業界とりわけ「EDLP」戦略を掲げる各会社は、日々イノベートしている。そしてコンシューマからターゲットをカスタマーに変更し徹底的な戦略を練る。SC、モールへの出店と業態品揃えを行う日本の各社は、米国視察参りをして外見だけ踏襲するこれは正に「物まね」以外の何者でもないと言う。

土曜日, 9月 09, 2006

おもしろ大江戸生活百科 を読んで。

著者の江戸の時代考証は、今まで読んだ杉浦日向子氏の江戸ものより更に細部に渡り考証を行っている。読んで見て、やはり杉浦氏のほんの方が面白いのは何故なんだろう。やはり若い感覚というか、時代考証が現代を元に行われているところにあるのかも知れない。

木曜日, 8月 31, 2006

異邦人 を読んで。

カミユの異邦人を読んだ。以前読んだ記憶があるが定かではない。「きょう、ママンが、死んだ。」で始まるムルソーが、死刑囚として死と直面して行く。神を否定し、現実にある全てのものをあるがままに肯定するムルソーは、カフカの「変身」のグレーゴリとは異質なものだ。「人生は生きるに値しない」というムルソーは、サルトルの実存主義とも違うように思う。

日曜日, 8月 27, 2006

ウェブ2.0は夢か現実か? を読んで

著者は、毎日新聞の記者及びアスキーにも籍を置いたジャーナリストである。コミュニティーベースでのビジネスを展開する企業をウェブ2.0企業というそうだ。それにしても広告費で飯を喰っている企業の多いことが改めて実感する。この広告をどのメディアが制するか。テレビを主体とするオールドメディアかまたコミュニティビジネスを展開するウェブ2.0系企業メディアか?。やはりB2Cを考える時、まだまだウェブは可能性を無限に含んでいると思う。オールドメディアがウェブにそのシェアーを受け渡すのは果たして何年先になるだろうか。近い将来に違いない。またヤフーで成功しているポータルサイトは今後も続くのであろうか。

水曜日, 8月 23, 2006

季語集 を読んで

実は、俳句に関する本を読んだのはこれが初めてである。五七五のリズムはいい。俳句には必ず季語を入れる。多種多様な季語があるには驚いた。中でも「あんぱん」も春の季語だと言う。読んで見て、日本に根ずく生活・行事から動物・植物まで、知らないことが多い。手元に置いて、句が読めるようになったら使いたい。

月に吠える を読んで。

萩原朔太郎の詩集である。著者31歳1917年刊行だ。古里群馬県前橋市の生まれで、生家は東大医学部出身の繁盛している医院であった。裕福な家に生まれた著者の人生は波乱の一言であった。詩全般に漂う孤独・寂寥感そして独特なリズム感は彼独自で今でも新鮮だ。

火曜日, 8月 22, 2006

変身 を読んで。

十数年ぶりに、読み返した。ある朝目覚めると。。で始まる。グレーゴリの大きな褐色の昆虫への変身は、何を意味するのであろうか?と再び考えてみる。グレーゴリのサラリーマンとしての日常、昆虫への変身は日常性の否定・逃避・孤独なのか、或いはまた現実世界との錯綜として捉えるのか。現実の日常と変身後の日常が同居する異常な世界とは、リアルであるものが、非リアルと同居する、つまり現実に見えるものが確かに現実なのかどうか不確かであるという著者の絶望的な孤独しか読み取れない。

月曜日, 8月 21, 2006

シャーロックホームズの冒険 を読んで

30数年前に読んだ経緯があり、今回手に取ったがドイルの卓越した推理・観察眼と短編に凝縮させる構成力は、現在でも水々しく輝いている。数年前にスコットランドへのゴルフの旅の途中立ち寄ったエジンバラは、スコットランドの首都であり、城下町風な情緒ある古都であった。彼はここに生まれたことをこの本で知った。感慨深く思う。

金曜日, 8月 18, 2006

地政学で世界を読む を読んで

十数年も前、地政学に関する本を読んで、戦略のない「日本」を感動を持って理解した経緯があった。今回著者のブレジンスキーは、米国の国際政治学者であると同時にクリントン政権の大統領補佐官であったと記憶している。地政戦略は「ジオポリティクス」といわれるが、米国のこの分野での研究は他国を圧倒する。日本を取り巻く地政戦略状況は多くの問題を孕んでいる。中国の台湾統一問題と中国の民主化、中国との南シナ海での海底資源の覇権に伴う領有権、尖閣列島での領有権、韓国との竹島問題、朝鮮半島の統一問題、北朝鮮のミサイル・核・拉致の問題、千島列島(北方領土)でのロシアとの領有権問題と、どれ一つをとっても民族紛争に発展しかねない重要な問題ばかりである。では一体日本の取るべき道とは如何なるものであるか。著者曰く米国にとっての日本は、日米安保の傘下で東アジアの超大国としてでなく、世界に貢献する国として育て導き中国との緩衝国としの位置を確保しつつ、中国の民主化がスムースの移行できるようにする為の地政戦略上の同胞であると。
この書を読んで、熟思うのは国家及び構成員としての人間の欲望というか、万能の神の下で或は地球規模で見て小さな領有権、覇権というエゴが永久に続いている。本当に懲りないなという感想である。

木曜日, 8月 17, 2006

武士道 を読んで

新渡戸稲造が、米国滞在中に著した英文の翻訳である。定番である矢内原忠雄訳でなく、奈良本辰也訳本である。明治の時代に半ば世の中の移り変わりを憂えまた、外国人に対する日本国理解の為に書かれたものであった。と思われる。日本人の精神の中核を「武士道」と見る著者は、キリスト教・宗教との対比から騎士道はたまた「薔薇」と「山桜」「アングロサクソン」と「日本人」というように豊富な例を交え解説する。その武士道が封建社会の中で、日本固有の風土の中に生まれたとするが、その詳細な起源とか経緯とかは定かではない。儒学・儒教が日本の「風土」の中で洗練されて来たというべきなのだろうか。

土曜日, 8月 12, 2006

読書の方法 を読んで。

吉本隆明のこの本を読んで、私が所謂古典ものをほとんど読んでないことに気づく。もの書きをする人の読書はすごいなーと。でも結局読書は、「自分探しの方法でしかない」というのが感想だ。本の世界で遊ぶ気楽な読書もあっていい。と思う。ただ読むにつれ、次から次へと興味が沸々と沸き上がり、つい色々と手を出してしまう。一貫性のない読書を世で言う「乱読」と言うのだろうが正に自分のそれだ。

木曜日, 8月 10, 2006

もっとソバ屋で憩う?きっと満足123店 を読んで

杉浦日向子さんが、参加する「ソバ好き連」「ソバ屋好き連」略してソバ連そしてソ連のメンバーが名店を紹介する。午後2時から3時頃来店し、空いている時間帯にちょいと一杯引っかけながら、ソバを楽しむという至上の喜びを持って、あー日本人で良かったと言う。著者は、35歳にして「隠居」リタイアーして、昨年7月46歳で亡くなっている。

水曜日, 8月 09, 2006

一日江戸人 を読んで

江戸庶民の日々の暮らしぶりが、細部に描かれていて興味深い。現代人が「EDO」をする視点で書かれているのも良い。衣食住から、粋、洒落、春画とまさに「軽妙洒脱」の一言。最後の章の「あなたの江戸っ子度?」の十八項目のチェックをしたら、並の東京人ということだった。

火曜日, 8月 08, 2006

大江戸見聞録 を読んで。

この本は、江戸を紹介するとともに、江戸文化歴史検定試験の標準テキストになっている。テキストだけにあまり面白くない。杉浦日向子氏の江戸に関する著述の方が数段面白く細部に渡る江戸文化かから庶民の生活全般まで、また日本人の精神構造の中核としての江戸を満喫できる。

日曜日, 8月 06, 2006

下流社会 を読んで

現代社会の階層化を消費論と抱き合わせて語る本書は、中々面白い。階層化・クラスタ化が進んでいるという団塊ジュニア世代1971年から1978年生まれの世代の意識調査と消費及び生活について様々な統計により分析を試みる。この書を読んで、恐ろしく思うのは政治政策が10年、20年後の国民の意識を変えクラスタ化するという現実である。米国のような差別社会の到来は55年体制から始まったという。また今後の団塊世代1200万人の行く末はどんなになるだろうと思う今日この頃である。

土曜日, 8月 05, 2006

あなたに不利な証拠として を読んで。

著者の体験を踏まえた、警察小説とでも言おうか物語である。女性制服警察官として5年ほど実際にルイジアナ州の警察官の経験を持つ著者の処女作だと。この本の最終章の「生きている死者」は、グイグイと読む者を物語の中へ引きずり込む迫力がある。5人の女性警察官の織りなす物語が絡み合い、スムーズに読むことができない章があるが、何れにしても米国の現実的な犯罪を追う或は起こってしまった犯罪の後処理をする警官の日常の物語である。人を簡単に「殺す」「殺してしまう」という社会の裏にあるのは「貧困と差別の階級社会構造」かもしれない。

水曜日, 8月 02, 2006

お江戸風流さんぽ道 を読んで

江戸庶民の生活が、書かれている。徳川時代に人工的に造られた「江戸」は、世界に冠たる百万都市であったという。地方から江戸へ様々な場所から出てきた人々が江戸に集まり生活する中で、色々な文化が花開く。以前山岡壮八「徳川家康」26巻を読んだが、改めて家康の質素を旨とする「基本方針」その後の15代に渡り264年間という長きに渡り、世界でも類を見ない平和な国家を維持し続けたのは驚異的である。もしも徳川の藩政に自由がなかったら、「江戸文化」の隆盛は見られなかったに違いない。

火曜日, 8月 01, 2006

PostgeSQL徹底入門 を読んで。

久し振りに、コンピュータ言語関係の書を読んだ。オープンソースのSQLDBである「PostgreSQL」とPHPというWeb言語の所謂「Web+DB」である。Posgreをインストールし、次にWebサーバーであるApacheをインストールし、さらにPHPをインストールして、2、3の例文を記述して動作を検証した。

鴨川ホルモー を読んで

著者は30歳といはいえ青春の恋する男心というか、機微を文章で表現する能力たるや感嘆に値する。奇抜でユーモラスでいて懐かしさのあるストーリーの展開には、正直マイッタ。一気に読み終えてしまう。読後の爽快感もある優れた著作であった。「人生は、諸行無常、鬼の霍乱」。

月曜日, 7月 31, 2006

江戸へようこそ を読んで。

1986年の作と言うから、丁度20年前のである。杉浦日向子を知ったのは、NHKの午後7時半から放映していたお笑い時代劇の最後に劇の時代考証を語る場面にいつも着物を着て、登場するその人であった。語り口は、軽快であった。著者の言う。江戸とは徳川260年の歴史そのものだが、そうではなく「江戸とは、日本人の精神的なニュートラルポイントだ」という。そして江戸文化を一言でいうと、「粋」だと。粋という概念が、江戸にどのようにして生まれたのか。

木曜日, 7月 27, 2006

この国のけじめ を読んで

「国家の品格」に続き、藤原正彦の2冊目である。ここ3年ほどの日本の政治、改革への強い不信感と懸念を表明しているのは、前著と同様だがこの書では著者の日常を含めたエッセイが記されている。類い希な風土に生ける極東アジアの小国日本の誇りと武士道精神を中核とした日本の復興を説く。「昔気質の人にいい癖のあるじーさん」という印象だ。

水曜日, 7月 26, 2006

二つ枕 を読んで

杉浦日奈子の「二つ枕」は、実は通常本だと思ってアマゾンで購入したが、実は漫画本であった。二つ枕とは、廓のおいらんと客との枕のことであった。さりげない、会話は奇麗な漫画の絵とともに本当に当時の会話はこんな風であったろうなと思いを巡らすことができる。映画やTVドラマでの暗い風景を見ているのと、少し違って日常的な風景がそこにはあった。

木曜日, 7月 20, 2006

世界で一番気になる地図帳 を読んで。

地球儀や世界地図を手元に置いて、読みたいと思う。国の名前、国旗、地域、山、河川、都市とその由来やエピソードが、盛り込まれ読んでいて飽きない。日本は、地球の全陸地面積約1億5千万平方キロの0.25%37万8千平方キロで人口規模2%の1億3千万人だと言う。極東アジアの本当に小さな国という印象だ。この小さな国を世界の人々はどう思っているのであろうか。

火曜日, 7月 18, 2006

夜と女と毛沢東 を読んで

辺見庸と吉本隆明の対談集である。「毛沢東と夜と女」では無いことに注意。前記3つのテーマについて、語り会うが、最後の身体と言語の稿が一番面白かった。対談の印象としては、巨人を相手に小人が立ち向かう様だ。ジャーナリストの経験がある辺見の見識と吉本の思考のみでの知識との対決とでも言うか。日本の消費資本主義の末期的状況を語るが、私個人としては食料自給を含め、資本主義は生き延びると思う。世界全体というか地球規模の問題に対しての、世界的良識がこの地球市民は持っていると思っている。

日曜日, 7月 16, 2006

眼の探索 を読んで

辺見庸の世界に初めて触れた。知識人ジャーナリストとしての良識を持つことを認識した。日本人の言語に対する希薄性、米国従属型の国家権力がオブラートに包みながら大衆を無知へと導く「新ガイドライン」から現在北朝鮮の脅威を喧伝し攻撃型抑止力を持つことを公然と唱える政治家及び官僚、W杯ワールドカップ、ライブドア、村上ファンド、日銀総裁等々の中でこの国は戦後60年を経た今、再び東アジアとの対話外交の無いまま軍備を拡張しようとしている。「周辺事態」という曖昧模糊とした造語を操り、確実にファシズムへと進んでいく様だと著者は警告し日常的世界に生きる一人の人間として何をなすべきか?を自らに問うジレンマに生きているように思える。

土曜日, 7月 15, 2006

私の大和路春夏紀行

土門拳の写真を見た後で、入江泰吉の写真を見ると、そこには風景写真家としの穏やかな大和路が広がる。土門のような気魄が無い。奈良を住居とした入江と東京から通う土門との距離感がでているのかも知れない。F64という一杯まで絞り込んでピントを合わせる土門の撮影技法との違いであろう。寺や仏像に対峙する姿勢というか思想がそもそも違うようだ。

カール・マルクス を読んで。

吉本隆明の40年も前の著作でる。1965年頃、「資本論」を手にしたが、挫折した覚えがある。当時経済学書或いは学生運動の根本的思想と考えていた。その後、マルクスについて今日まで、全く接しないままだ。今回著者の親鸞を読んで、関連本として手に取ったが今までの印象と全く違ったものであった。マルクス生涯の思想の流れの中で「資本論」を把握している。宗教、法、国家、自然、歴史といったマルクスの思想の到達点として「資本論」があることを認識させられた一冊である。

金曜日, 7月 14, 2006

読むだけで10打縮まるゴルフ思考術 を読んで。

読み終えて、10打なんてとっても縮まりそうにない。というのが印象だ。著者の最もスコアーを縮める核心は「プロあるいはPGA公認のインストラクター」に金を払えだそうだ。ゴルフの楽しさも夏坂健から比べると比較にならない。

99.9%は仮説 を読んで。

冒頭、「飛行機はなぜ飛ぶのか?原理が今のこの時代でも解明されてない」には驚いた。勿論種々実験により飛ぶことはわかっているが、科学的原理とは別物だという。人は、様々なその人なりの仮説或いは世間でいわれる仮説の上に世界観を形成し日々生きている。仮説というか前提条件が違えば、ものの見方が根本的に変わってしまう。科学の世界でも、白から黒あるいはグレーという仮説があるそうだ。物体のエネルギーに関してもニュートンは、運動して初めてエネルギーが加わるという力学の仮説に対して、アインシュタインは、動かなくても物体そのものがエネルギーを持っているという仮説を発表し、その先はヒロシマ、ナガサキの原子爆弾に繋がったという。人は、思いこみ自分で構築した仮説の範囲で考え行動する。しかしこの仮説に疑問を呈し頭を柔軟にして違った仮説を考えることは、即人の気持ちをわかるという「やさしさ」に繋がるのではないか。

火曜日, 7月 11, 2006

今に生きる親鸞 を読んで。

親鸞の思想を現代社会の問題(例として老人高齢化問題)に即して、考える稿がある。しかし、結局最後は一人一人の老人の問題であると。施設を沢山つくり、或いは老人の働く場所を作る。これでこの問題が解決できるだろうか。最後は、「死」という問題になる。自然法爾(じねんほうに)、阿弥陀様が自然と手引きされるまで待って、時間の余裕があれば称名念仏を1回でも唱え浄土に行く。そんな親鸞のいう「無」になれるのであろうか。

月曜日, 7月 10, 2006

日本という国 を読んで。

明治から昭和そして今、現代へと日本の歩みが小冊子ながら的を得たすばらしい本である。著者の歴史認識は近隣アジアの人々にとって普遍であり、今の首相の小泉さんに是非読んでもらいたい。ブッシュの前で、プレスリーの歌を歌う日本人が、如何に恥ずべき行為かを知る、誰にでも読める歴史教科書として感銘をした。

日曜日, 7月 02, 2006

親鸞の告白 を読んで。

6世紀半ばに伝来した仏教が、鎌倉を経て平安で花が咲く。二人の天才宗教家である最澄と空海により日本の仏教として
確立してゆく。戒律を改革した最澄と、即身成仏を説く空海そして法然、親鸞へと。
今まで、政治やイデオロギーと深く関わって発展した来た仏教を解放し、思想として初めて仏教を普遍的なものに変えた。
「悪人正機説」で有名な「歎異抄」は親鸞の弟子唯円の書いたものだという。思想の深部は難解である。「善人なおもて往生
をとぐ、いわんや悪人おや(善人が極楽往生できるのなら、悪人ができないはずが無い)」というパラドクス的表現は、簡単
そうで深い。仏教の核心は、「慈悲」と「平等」であるという。

月曜日, 6月 26, 2006

私のオーディオ論


私のオーディオ私論は、スピーカに尽きるということだ。しかも、音圧というかエネルギーつまりパワーを感じるスピーカが好きだ。35年も前にに買ったスピーカは、当時サンスイとJBLが提携関係にあったが、SP707Jという、箱は英国製桜合板の2.5cm厚で形式はバックロードホーンであった。このエンクロージャにD130というウーハーにLE175DLHという蜂の巣ホーンを1200Hzで切った2Wayの全てホーン形式でJAZZを聞いていた。その後D130を130Aに2390のコンシューマ版音響レンズに2.5インチアダプターをつけLE85のミッドレンジという構成に換えた。音造の定位が格段に良くなった。聞く音楽によって違うが、JAZZはやっぱり米国製でかつ西海岸のもの、つまり気候風土に生きるスピーカ技術者は、その音まで影響されるようだ。アンプのような回路設計が左右する機器と違いスピーカは今でも紙である。磁石と紙を振動させて音を出すから面白い。

カメラ Leits minoltaCL を買った。


1973年のフィルムカメラだ。当時買いたいと思っていたが、Pentax6×7を買ってしまったのである。中判カメラで2.5kgもあった。Leits minoltaCLは、独ではライカCLというライカでも小型のレンジファインダーである。勿論33年も前のカメラなので中古である。ミノルタのHPサイトに当時の操作マニュアルがPDFでダウンロードできるようになっていたのは、ありがたい。手に持った感覚は、流石にいい。さて何をとるか?。まずはフィルムを買ってきなくては。

ゴルフに行ってきました。


緑野カントリークラブは、家から15分。梅雨で予約をした時から、雨の中のゴルフを想定していたのが気温も30度という猛暑の中となった。身体が暑さについていけない。84回も叩いてしまった。未熟さを痛感する「銀さんのような」ゴルフは中々できない。日本人のルーツを探るべく読書の旅もまだ出発点だ。用意に欲を取り去ることはできそうもない今日この頃のゴルフです。

水曜日, 6月 21, 2006

富の未来 を読んで。

著者の「第三の波」を読んだのは、20年も前だっただろか記憶がないが、優れた社会学の本であると感銘を受けた経緯があり、今回手に取った「富の未来」も期待して読んだ。時間と空間さらに知識、グローバル化などで「富」を説明しようとしているが、説明しきれていないような印象だ。「フラット化する世界」の
方が、より時代区分のとらえ方も的を得ている気がする。但し著者の言う「生産消費者」が、富の体制を劇的に変化させるという。金銭経済と非金銭経済、見える経済と見えない経済、この後者に位置する経済こそ生産消費者の活動であり、この部分を無視した今までの経済学は「死の知識」だという。

火曜日, 6月 20, 2006

土門拳 古寺を訪ねて 土門拳著 を読んで。

「奈良西ノ京から室生へ」が副題である古寺巡礼シリーズ。生涯何度となく、訪問した女人高野室生寺の登場である。室生川を始めこの村落の人々のふれあいの中での撮影紀行は、土門の人となりを忍ばせる暖かい描写が随所に書かれている。それにしても、雪の中の室生寺を撮りたいと近くに病院に入院してまで待つ土門の根性と気迫は多分鬼気迫るものがあったに違いない。石段から俯瞰する室生寺は、その写真から屋根の雪、石段沿いの笹につもる雪と凛とした張り詰めた空気を見事に再現していると思う。

土門拳 古寺を訪ねて 土門拳著 を読んで。

前著撮影入門を読むと、古寺巡礼は土門の晩年作であり既に身体が不自由な身で弟子たちに支えながら、シャッターを切るという壮絶な古寺古仏行脚であった。寺の全体像を撮った写真は1枚もない。土門の感性で捉えた悪までも微細な表現のクローズアップが主体だ。ぬれ縁の釘また釘隠しまで愛おしむその姿感性はリアリズム写真の終局的表現に到達した土門の姿を見た。

土門拳の写真撮影入門 都築政昭著 を読んで。

写真に革命を齎した土門の写真について、その技法を紹介した書である。リアリズム写真の神髄とそれを獲得する理論と実践の為に苦悩する土門の人生が描写され、写真撮影入門というタイトル以上の土門その人の紹介の書だ。東北人の土着性と粘りがひしひしと伝わってくる。対象と一体化し、瞬間を切り取る。「絶対非演出の絶対スナップ」とはいい得た土門の表現である。我々素人が風景を撮っても結果を見ると、いつも落胆する。見た時の感動があの四角いファインダーの中に収まり切れない。手前から奥まで隅々までピントがあっていてしかも広大な風景を撮るということは、所詮無理だと土門も言っているには驚いた。生活私的風景を提唱する、切り取られた事象から暗示する象徴化・シンボライズすることだと。対象を研究し、撮るべき対象に真摯に対峙し一体化して、その刹那を切り取るということだと理解する。

日曜日, 6月 18, 2006

温泉巡り(日帰り、立ち寄り)


昨日、温泉に出かけた。関越道沼田ICより、10分。旧白沢村の望郷の湯は公営温泉だ。建物はコンクリート造りながら、天井も高く良い雰囲気でした。食事もまずます。なにより標高が高いせいか、兎に角涼しい。館内風呂及び露天風呂、ジャグジー及びサウナとある。マッサージからレストラン、休憩場所などなかなかだ。総合評価10点満点の70点だ。

BRICs新興する大国と日本 角倉貴史著 を読んで。

BRICsとは、ブラジル、ロシア、インド、チャイナの4カ国である。ゴールドマンサックス社が名付け親だそうである。BRICsのパワーの源は、豊富な天然資源、豊富な労働力、外資の積極的な導入、そして中産階級の台頭というこの4だという。「水と資本は、低い方に流れる」とはよく言ったもので、少子高齢化、人口減に悩む日本とは、人工ピラミッドの構成が全く異なる4カ国の労働力は何と言っても魅力である。さらに、宗教と言語及び政治的安定性を加味すると上記4カ国以外でベトナムがやはり魅力である。国民の80%が仏教徒であり、政治的にも安定してきているドイモイ政策発表から20年経た効果も現れてきた。SARSに対する対策もすばらしかった。後は、インフラ、WTOの加盟と課題は残るが年率8%台のGDPの成長は見逃せない。日本からもアジア圏内でるベトナムは近い。BRICsの外貨の蓄積による軍事費の急騰は、世界のパワーバランスを崩しつつある。中台、印パ等核が、再び使用される危険性を含み経済力のみならず、地政学的にもパワーバランスが変わりつつあることを実感した。

法隆寺の謎を解く 武澤秀一著 を読んで。。

著者は、建築家でもある。インド、中国、韓国と訪問しそのルーツを探る。その中で、プラダクシナー・パタというインドの回りながら拝むという思想が、日本の伽藍の回廊に繋がっているという。また塔と柱の関係、伽藍の配置まで広範囲な検証を試みる。しかし読んでから、さらに法隆寺の配置及び中門の真ん中にある柱の疑問は、建築家としての著者の発想から全てが明らかになるという説得力はない。厩戸皇子の私寺と建立された創建法隆寺から、世継ぎの世襲化を目論む時代の天皇による政治的な思惑から厩戸から聖徳太子として崇拝そして信仰の中心を偶像化すべく新生法隆寺は7、80年の歳月を経て建立された。著者は、法隆寺伽藍の空間の美は、日本の類いまれな風土と日本人の感性から生まれた特殊なものであるという。日本最古の木造建築でり、日本の世界遺産第一号である法隆寺に行ってみたい。

土曜日, 6月 17, 2006

ぶつぞう入門 柴門ふみ著 を読んで

東大寺に始まる仏像を見て回る度をスケッチ風なタッチで紹介するこの本は、仏像に興味を示す者にとって気軽な入門書となっている。そういえば、土門拳も仏像の魅力は、究極のエロティシズムだとどこかで書いていたことを思い出した。著者が好きな慶派のなかでも運慶の最高傑作という、「円成寺の大日如来」が、著者の仏像マイベストテンの第一位だという。

水曜日, 6月 14, 2006

久しぶりのゴルフ。。


1ヶ月ぶりのゴルフをした。朝9時スタートホールは、霧で前方が10mほどしか見えない。ホームコースであっても、やはりドライバーは何とかなるがセカンド及び100ヤード以内のアプローチは難しい。前半は、44回も叩いてしまった。前半の後半からは霧も晴れて、蒸し暑い。昼食後、後半は前半パターがカップに嫌われた経験を踏まえ、強めにヒットしようと思ったのが幸いして1アンダーの35で回り、辛うじて79回と面目を保ち、コンペで3位ニアピンも1回奪取。後半はバーディーが3回と見違えるようなラウンドで、課題は多いがまずまず。初めて使用した中古の17800円(10本)のアイアンが、いい。

火曜日, 6月 13, 2006

土門拳 古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ を読んで。。

土門拳の古寺の建築、仏像に対する真摯な姿勢が、良く解る書だった。刹那の時間を切り取る写真と魂で対決する土門の気迫が、解説する文章の中にも伺える。写真家としてまた、土門の解説文章にも感嘆した。

月曜日, 6月 12, 2006

木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯を読んで。。

土門拳のリアリズム的写真に対して、現実の中で流れるように切り取る木村の写真の対峙は以前から非常に興味があった。日本の写真芸術の基礎となった二人の作風は、やはり生まれた環境・生い立ちそしてその後の環境から決定されていると思う。木村はパリの街頭でライカを持つ姿が似合っていて、土門は古寺の石段で三脚に乗せた4×5判カメラが似合う。戦前、戦中と激動の世界に身を置いた二人は、やはり戦争に対する写真そして自己を処す術を誤った経緯が後まで尾を引いていたと思う。ヒロシマ、筑豊の子供たちそして古寺巡礼は、土門の苦悩そして仏・神へと向かう心の変遷を示しているようだ。

日曜日, 6月 11, 2006

ウルトラダラーを読んで。。

元NHKワシントン支局長である著者の第一作目となる。ウルトラダラーとは偽100ドル紙幣を巡る国際的犯罪を追う米英日そして北朝鮮中国のスパイ小説だ。日本の外務省など細部の表現は、小説とは思えないリアルな描写だ。全般的には、期待をしていたが今一であった。

金曜日, 6月 09, 2006

最澄と空海を読んで。。。


最近、読書にまた魅せられ読み続けている。一週間に5、6冊を読んでいる。社会学からリタイヤメント書、コンピュータの世界、小説と宗教多岐に渡る。つまり乱読と世に言う類いである。最澄と空海、比叡山の天台宗対高野山真言宗と奈良時代の都会的仏教から山岳仏教へと導き日本仏教の礎を築いた二人の巨人について、平易な文章で紹介する梅原猛著である。山へと仏教が入り古来神々が山に住むという日本人のルーツ自然観を仏教が飲み込んだ。山川草木すべてに命を見る日本人の自然観こそ、現在人類が直面し危惧する自然地球破壊現象を食い止めるべく日本人の世界観を世界に役立てる時がきたと感じる。

木曜日, 6月 08, 2006

10年後の日本を読んで。。

まあー、よくも10年後の我が国日本に課題、難題が山積しているのか。が良く解る本である。
少子高齢化、代理母、財政赤字、年金、消費税、エネルギー、日中間、07年問題、教育、直下型大地震、BRICS、北朝鮮問題等々今後の日本について、真面目に現実を見たいという人には、いいかも。

日曜日, 6月 04, 2006

フラット化する世界を読んで。。

十数年前に読んだアルビントフラーの「第三の波」の以来の歴史的考察を含めた現代のITイノベーションをターゲットに展開する著者のフラット化理論は、面白い。中でも、マルクス、エンゲルス共著「共産党宣言」の引き合いに、如何に現代社会が歴史的に変革の時代かという一説は面白い。グローバリゼーション3.0の時代に生きているという著者の社会学的および歴史的考察は、自分の足で世界を駆け巡るリポートを元に展開するだけに、迫力がある。IBM,グーグル、ウォルマートl,Docomo,インドのIT企業、ベンチャー企業と多彩なリポートは、本当に面白い。

木曜日, 6月 01, 2006

巨泉流 成功!海外ステイ術 を読んで。。。

数年前に巨泉の同類の本を読んだことがあったが、現在55歳の私にとってリタイアメントを考える今日この頃、再び読んで見た。巨泉のお勧めは、カナダ、オセアニア、ハワイである。私は、やはり東南アジアがいいと思う。特にタイは数回訪れ、ゴルフもバンコク、パタヤ、チェンマイ、プーケットと楽しんできた。ゴルフ、タイ式トラディショナルマッサージ、ビール、昼寝とまさに天国のようである。物価は安い、ゴルフも安い、マッサージが殊更良く安い、治安も北タイの都チェンマイはまずます、但しアジアは水は日本人には飲めない。また英語もまずまず通じ、私程度の日常英会話クラスでも十分である。

月曜日, 5月 29, 2006

グーグル?Google 既存のビジネスを破壊するを読んで

ウェブ進化論より、面白い。ウェブ進化論での全体的グーグル礼賛が、この本では批判すべきところはキチンと書かれている。中国での検閲に参加するグーグルに対しての批判など、論議を呼ぶところである。

火曜日, 5月 23, 2006

海外でゴルフ。。。


一昨年秋以来、海外でゴルフをしていない。今まで、海外で70ラウンド以上プレイしている。極めつきは、スコットランドのセントアンドリュースのOLD及びNEWコース、カナダ、米国本土、ハワイ、グアム、タイ、インドネシア、マレーシア、オーストラリアと。今年の秋は、是非行きたい。

水曜日, 5月 17, 2006

昨日のゴルフ2

数回使用のERCアイアンが、不調だ。4Iで165Yのショートでは2mにつけたが、フェアウェイからのショットが今一、真に当たらない。前半フロントナインで、3バーディーを奪取して結果は40と後半はノーバーディで41でグロス81最近、80が切れない。。。。アイアンを変えようかな。

ダヴィンチコードを読んで

なかなか面白いが、キリスト教についての知識が必要だ。映画が5月20に封切りされるが、早速米カトリック系団体が配給元のソニーについて、不買運動を展開するという。小説を読んでからでないと、映画を見ても理解できないのではと思われる。著者のダン・ブラウンの広範な資料を駆使したサスペンス調のこの作品は、読み終わって聖書に関する歴史などを自分で調べてみようかという思いにさせる。

日曜日, 4月 09, 2006

昨日のゴルフ1

強風の中で、ゴルフをしてきました。今年は、強風に3回遭遇しました。異常気象ですね。152Yショートホールで、4Iでもとどきません。強風の中でのゴルフは、普段使わない筋肉も使うようで、非常に疲れました。何故だかわかりません。こういう日は、ボギーのゴルフに徹することが重要です。寄せて2パットのボギーが基本です。この私の原則を守り、85でのラウンドでした。

火曜日, 3月 28, 2006

国家の品格を読んで。。

日本人の特性、自然との調和、感受性、曖昧さ欧米人の論理性と少しも劣るところない、優秀さまた、武士道精神を基本にした教育論等々。読んで面白く、昔和辻哲郎の「風土」を読んだ時の感動に似たものがあった。世界でも類い希な自然を有する日本と日本人論は、桜が咲く今日この頃つくづく思う。。。「世の中にたえて桜のなかりせば。。。」

金曜日, 3月 17, 2006

ウェブ進化論を読んで。。

著者は、シリコンバレーでのビジネスへの豊富な経験を持ちブログも公開している。インターネット、チープ革命、そしてオープンソースと、今後10年の三大潮流と位置づけ展開する。面白く一気に読んでしまった。グーグルに関して、ヤフー、楽天についてITに興味がある人が読んで面白く、お勧めの一冊である。

今日のゴルフ

 強風の中、ゴルフをしてきました。体やティーアップしたボールが、揺れるほどの風、手や肩に力が入りショットは曲がる。スコアーもついに90台の大台に。強風のアゲンスト、30ヤードのアプローチショットが風でバックスピン。。

水曜日, 3月 15, 2006

Filemakerのこと

 Filemakerは、Ver5から始め現在Ver8を使用しています。MSaccessを長らく使用していまして、Filemakerは最初違和感がありました。しかしVer7を機にリレーショングラフなどAccessライクに変身し、Accessからの乗換えが容易になったと思います。

打ってみました。SLEルール適合ドライバー


Callaway X460 Loft9 stiff 練習場で昨日テストしましたが、現用のMizuno生チタンstiff 10.5に比べかなりハードな印象です。中弾道で重い球筋です。私のHSは44m/secですので、飛距離は感覚的に230前後といった感じです。